題 『「ありがとう」の魔法』 |
「ありがとう」 満面の笑顔と一緒に飛び込んできた、この言葉。通りすがりに、落とした物を拾って渡しただけなのに、その子がくれたまっすぐな視線と「ありがとう」。言われた私もなぜか笑顔になっていました。 私にとって、ありがとうは、「言ってあたりまえ」「言われてあたりまえ」の感情の入らない、ただのやりとりでした。なのに、なぜか心に残ったシーン。 あの頃の私は、いつも「独り」でした。クラスで仲良くする友達はいても、学校から出てしまえば、赤の他人。「いくら人が傷つこうが、関係ない。友情なんて上辺だけ。我慢してまで人といる必要はない。人を信じれば信じたぶんだけ傷ついて、絶望して、そして最後には独りになるんだ。」ずっとそう思っていました。過去の傷が邪魔をして、人を信用できず、いつも一線引いていました。「自分さえよければ、それでいい」と思うことが、私にできる最大の自己防衛だったのかもしれません。まるで、いっさい光の入ってこない部屋に閉じこもっているかのようでした。 私は、1年半くらい前から、体調が悪く、なかなか登校できずにいます。遅刻してやっと登校したある日、過呼吸を起こしてしまいました。すると、背中をさすってくれる人。「大丈夫だよ、ゆっくり呼吸して」と声をかけてくれる人。先生を呼びに走ってくれる人。おんぶして、保健室まで運んでくれる人。いつも、どことなく外れている私に、こんなにしてくれるのがとても嬉しかった。苦しい最中「ありがとうって、こんなときに言うんだな」と思えたのです。教室に戻り、「大丈夫」と声をかけられた時、とても自然に「ありがとう」が言えました。自分でも驚くくらいに、心をこめて、まっすぐに。そして、あのシーンを思い出しました。 「ありがとう」は、ただの言葉ではなく、「感謝を伝える」言葉。気持ちが伝わって初めて、自分も相手も笑顔になれるのです。こんなにやさしい「ありがとう」を知らずにいたら、私は、もっと孤独でいたでしょう。私の暗く頑なな心に、まるで光がさしたかのように、やさしさが生まれました。他人を信用せずにきた人生に終止符をうつように。 こんな話を聞いたことがあります。2つのサボテンを同じ条件で育てます。ただし、一方には「ありがとう」と、毎日何度も何度も話しかけます。もう一方には、「ばかやろう」などと罵声を浴びせ続けます。すると、「ありがとう」と言われ続けたサボテンは、生き生きと成長し、花を咲かせたのです。けれども、罵声を浴びせられたサボテンは、成長するどころか、根が腐り枯れてしまったというのです。 植物だって人間だって、ネガティブな言葉や考えでは、どんどん辛くなります。けれど、小さなことでも「ありがとう」の一言で前を向けるのです。 世の中では、心の闇が生んだ、悲しい凄惨な事件が次々と起きています。みんなが暮らしやすい、泣かない社会をつくるのは、一人ひとりの力です。もしかしたら、この一言がみんなの笑顔を増やすきっかけかもしれないと思うのです。 「ありがとう」がもつ力。自分も相手も笑顔にする「ありがとう」の魔法をもっともっと広げていきたい。そして、感謝の気持ちを伝えあい、笑顔がいっぱいあふれる毎日を送ります。仲間と一緒に。 |