札幌地区 札幌市立米里中学校 3年
北澤 未玖きたざわ みく

題 『自由を守るために』


  生活をしていく中には必ずといっていいほどきまりがあります。社会や学校の中にも規律や規則やきまりがあり、私は中学生になってからこれらのことについて色々と考えるようになりました。 
  暑さが日増しに厳しくなってきた7月のことです。本来、不要物であるうちわや扇子の使用を、私の学年では二つの条件付きで認めてもらっていました。その条件とは、
  「一つ、うちわ又は扇子として正しい使用方法で使うこと。」
  「二つ、授業が始まったら、絶対に使用しないこと。」
どちらも当たり前のことなので約束を守れないことはないだろうと私は思っていました。
  ところがある日、学校の男子トイレの水の張ったバケツの中に、壊れてバラバラになった扇子が捨てられているのが発見されました。その数日後には、授業中にうちわであおぐなどのきまりをやぶる出来事があり、ついには使用禁止になりました。 
  たった二つの簡単な条件だったのに、どうしてきまりを守れない人がでてしまったのでしょうか。私にはその人達の気持ちがあまりよく理解できませんでした。
  このルール違反があった時、私のクラスの担任の先生はこう言いました。
  「きまりを破るからどんどんきまりが増え、自分達の自由が制限されるのさ。きまりを守ることは自由を守ることなんだよ。」
  私のクラスでは前にも一度同じようなことがありました。それは四月の始め、点検活動についての学活での事です。点検はなくても自分達でしっかりやろうと決めたのですが、結局、遅刻、忘れ物等が増え始め、『あたりまえ点検』という点検が一つ加わりました。
  それからというもの、こりたのか、きまりを意識する人が増え、落ちついた生活ができるようになりました。 
  そのような事もあり、先生の言葉に対しその通りだと共感し、目からウロコが落ちたような思いがしました。そして感動もしました。きまりを破るからまた新しいきまりができてしまい、自由が制限されてしまう。それなのに平気で破る人達も中にはいるのです。
  学校の中のきまりだけでなく社会のきまりへと広げて考えてみても同じことが言えると思います。きまりを破ることは時には命に関わることもあるのです。信号無視や自動車のスピード違反、シートベルト無着用、自転車の二人乗りなど、これらは一歩間違えると命を落としてしまう危険性があり、きまりを守らなければ大変なことになってしまう可能性が高いのです。
  私の周りでもたまに、
  「どうして規則などを守らなければならないのか?」という疑問を持っている人達がいますが、私はそういう人達に対して伝えたいです。規則やきまりは自分達の命や自由を守るためにあるのです。けっして忠実に守ってさえいればいいと言うわけではありませんが、社会の中でお互いの自由を守るためには必要なものだと思います。だから、そのきまりを破ってしまった場合にはそれ相応の罰が下るのです。
  私は、中学生で色々な事をこれからずっと学んでいきますが、先生から学んだ事は心にきざみ、未来へ歩んでいきたいです。また、私の学校でも自由で快適な生活が送れるよう、きまりを守っていくように呼びかけていきたいです。そして、世の中のきまりを守り自分達の自由を守ることで世界を広げていてきたいです。
  きまりは大切なものです。住みよい未来を実現できるかどうかは、私達の“意識”にかかっているのではないかと、私は考えています。