題 『私は今を飛ぶ』 |
「ただ鳥が空を飛ぶように、ただ僕は17歳であるということを飛ぶ」 歌人の俵万智さんのこんな歌があります。 鳥がただ空を飛ぶのと同じように、自分も17歳であるということをただひたすら生きていく。 そんな風に私は感じました。 私の祖父は去年の末に脳梗塞で倒れました。 大事にはいたらなかったものの左半身がマヒしてしまい、さらに痴呆もひどくなってしまいました。 いつもなら、遊びに行く度に、「優ちゃん、大きくなったねぇ。」とにこにこしながら言ってくれていたのに。 初めてお見舞いに行ったとき、祖父は私の名前を覚えていませんでした。 とてもショックでした。 それ以外にも祖父は色々なことを忘れていました。 仕方のないこととはいえ、人はこんなにも簡単に見て、聞いて、感じたことを忘れてしまうのだろうかと、本当に悲しくなりました。 でも、それでも祖父はにこにこと、笑っているのです。私にはそんな祖父の姿が前よりもずっとずっと楽しそうに見えました。実際は何が楽しいのかは分かりません。しかし、とても大変なリハビリの時も、私たちがガラス越しに見ていると、祖父はまた、私たちに笑顔を返してくれるのです。 ある日、思い切って「おじいちゃん、楽しい」と訊くと、いつもどおりの笑顔で「うん」と答えてくれました。 私はそんな祖父の姿を見てなんだかほんの少し心が温かくなったような気がしました。 端から見れば、つらそうに見える日々の中でも、祖父はきっと『楽しい』ということを見つけて毎日をすごしているのでしょう。 その時、私は思いました。祖父は決して『可愛そうな人』じゃないと。 身体が上手く動かなくて、色々なことを忘れて、それでも毎日毎日とっても楽しそうにしています。祖父はきっとその一瞬一瞬を幸せに生きているのだと、私は思うのです。 私たち人間は生きている限り、沢山の事を見て、聞いて、感じて、泣いて、笑って、怒る。けれど沢山の事を忘れます。 私の大好きな祖父が、私のことを忘れてしまったように、思いがけず記憶から消えてしまうものもあるかもしれません。 私はたまに、この瞬間をずっとずっと覚えていたいと思うことがあります。同時に2本の虹を見た時や、吹奏楽の大会で良い成績を残せた時。 大人になっても、その先も、覚えていたい事は沢山あるものです。 一つ一つは本当に小さくて、ささやかな事かもしれないけれど、それが私にとっての『幸せ』です。 「ただ鳥が空を飛ぶように、ただ僕は17歳であるということを飛ぶ」 私たちは生きています。ただ鳥が空を飛ぶのと同じように、私たちは毎日を生きています。 その今を生きていく私たちの前にあるものは決して幸せな事だけではないのかもしれません。つらいこともあれば、苦しいこともある。消えていってしまうこともあるでしょう。 しかし、それを乗り越えて、私たちは飛んでいくのです。鳥のように空ではなく、けれど同じくらい広い『毎日』を。 どうせなら、恐れずに堂々と、自分のペースで自分らしく飛べばいい。 どんな困難を乗り越えてでも、私は今を飛び、そして明日を飛びたい。そして日常にある『幸せ』をもっともっと見つけていきたい。 きっと誰もが羽ばたいて、その中で、幸せだと思える瞬間を見つけていけるはず、私はそう思います。 |