![]() ![]() オホーツク地区 遠軽町立生田原中学校 3年 題 『「学園があったから・・・」』 |
「早く学園から出て行きたい。」北光学園に入園した頃、よく言っていた言葉でした。 学園での日常生活には、色々なきまりや作業が沢山あります。夏は炎天下での草取りや畑の作業、 冬は雪が降れば、どんなに寒くても朝早くから除雪があります。 土日に学校は休みでも、学園では1日中休みではありません。 独自の行事がある時はその準備や練習があり、ない時は学園の中や外での清掃作業や いろいろな雑用もあって、自分で使える自由な時間は多くありません。 学園での共同作業や挨拶の徹底は、将来私が社会に出たときに、必要なこととして学んで いるのだと分かってはいます。 でも、学園生以外の同じ年代の子たちが、自由な時間が多いのを見ていると 「羨ましいな」と思うこともよくあります。 地域のお祭りを見に行ったときも、帰ってからの作業があるので、学園生の帰る時間は、 どうしても早くなってしまいます。 そんな時は、「学園生でなければもっといることができたのに」とか 「自分の家に住んでいたら、もっと友達と話ができたのに」とすごく思うことがありました。 学園に入る前、まだ小さかった私は、母と2人で暮らしていましたが、 生活は決して楽ではなかったと思います。 ある時私は、家庭の事情で家で暮らすか学園にいくかの選択を迫られました。 当時まだ幼くて、あまり物事の分からなかった私でしたが、 「学園に行くか、家に残るか」どちらを選ぶか一生懸命考えました。 そのとき私は「お母さんにこれ以上迷惑をかけたくない。」この思いだけで、 私は学園に行くことに決めました。 私が学園に入園したのは、小学校2年生の時でした。初めて学園の建物を見た時は、 あまりの古さと汚さに驚き、私は心の中で「こんなところに住むのはいやだ早く帰りたい。」 と泣き叫んでいました。 だけど「いまさら思ったって遅すぎだ。学園に入ることを決めたのは自分なんだから」 と半分あきらめた気持ちで入園しました。 最初は学園にいるのが嫌で嫌で、毎日のように泣いていました。 だけど、学園で暮らすうちに、いつの間にか沢山あった好き嫌いもあまりなくなり、 同じような境遇の子たちと遊んだりしているうちに、あまり泣かなくなっている 自分に気づくようになりました。 学園にいて一番楽しみなこと、それは夏と冬の年2回の帰省期間に家に 帰り母に会えることです。何年か前の冬に帰省した時の事でした。 学園全体でディズニーランドに行ってきた時の話しをすると、母は言いました。 「お母さんは、仕事で忙しいので、学園にいなければ、旅行とか遊びに行くことは出来なかったね。」 と、確かに考えてみればそうでした。 普通に家で暮らしていたら、遊びに行くだけの時間も、金銭的な余裕もなかったと思います。 学園にいたから招待でディズニーランドや札幌ドーム、遊園地やキャンプにも行くことが出来ました。 学園に来る前は、家に帰ってもいつも一人ぼっちでしたが、 今はいろいろな話が出来る同じ年代の友達もできました。 いまでも帰省の時、学校や学園であったことや友達のことを母に話すことが、 すごく待ち遠しくて楽しみです。 親子で暮らしている人達が羨ましい時もたまにはあります。 でも、親と子の関わり方には、いろいろな形があっていいと思います。 私は今、学園のおかげで母といい関係を築いています。 |