![]() ![]() 根室地区 別海町立中西別中学校 3年 題 『被災地を明るく照らそう』 |
いつもと変わらない日だった。 会社で働く人達、部活に打ち込む生徒達、友達と外を駆け回る子供達。 そんな生活を人を建物を、地震と津波は一瞬で奪い去ってしまった。 町が消えてがれきの山。爆弾が落ちたかのような映像に、恐ろしさで言葉も出なかった。 尊い命がたくさん失われ、色んな人が悲しみのどん底に落とされた。 忘れもしない三月十一日。 「時間を戻してほしい、津波が来る前の時間に。」そう何人もの人が思ったことだろう。 私の祖父もチリ地震の時に津波で家を失った。 その時、ちょうど祖父は船に乗って漁をしており、そのまま津波に飲み込まれた。 目の前にあった大きな電線に舟が引っかかり、「このまま大きな波に飲み込まれてしまう、 もう駄目だ」と諦めかけた時に自衛隊の人達に助けられたそうだ。 今でもその恐ろしい体験は自身のたびによみ返ってくるという。昔聞いたその話が、 今回の震災と重なった。 しかし、想像を超えた規模の大震災。何日も何日も奇跡を信じて、 家族の帰りを待つ人。跡形もない自分の家があっただろう場所に立ちすくむ人。 そこには笑顔あふれる暮らしと、何年も何十年もかけて築きあげた家や土地があった。 被災された方々は、悔しくて悲しくて、どうしようもなくて、 どれだけたくさんの涙を流した事だろう。 多くの住民は、避難生活を余儀なくされている。少しずつ、 復興に向けての活動が進んでいるが、まだまだ生活に必要なものが無く、 困っている人がたくさんいる。物に恵まれて育ち、何不自由無い家があって、 スーパーやコンビニに行けば、お弁当、お菓子など、物が溢れている裕福な時代。 私達は、平和でいる事に慣れてしまって、ついつい大切な事を忘れがちになってしまう。 蛇口をひねれば水が出るし、電気もつくのが当たり前だと思っていた。 しかし、当たり前の事なんてないと思った。今までの自分は、 どれだけ恵まれていたのだろう。改めて、物や水や電気の大切さを身にしみて考えさせられた。 「私にできる事は限られているけれど、どんな些細な事でも協力し、力になりたい」と、 自分にできる事はないかと考えた。クラスで話し合い、「頑張ろう東北」の見出しに、 私達クラスの写真を貼り、ポスターと募金箱を作って近くのお店に置いてもらった。 そこにはびっくりするほどの金額が集まった。私達のしている事は、 たったひとかけらにすぎないかもしれないけれど、募金によって、 お年寄りの薬になればいい、赤ちゃんのミルクやおむつでもいい、 また子供達の教科書やノートになればいい。そんな思いを込めた。 その小さな一つ一つの思いが、大きな力になる事を信じて。 これから、風評被害や度重なる余震を含めて、辛く厳しい時間が続くと思う。 前を向けなくて、絶望の中にいるだろう。しかし、世界中の人が必ず支えてくれる。 時間がかかるかもしれないが、とにかく今を生き抜いてほしい。 祖父は言っていた。あの時、一命を取り留め、多くの人が支えてくれたおかげで、 今、幸せな自分がここにいると。どうか、助かった事を責めないで、 大切な方々を助けられなかった事を責めないで。今は本当に笑う事なんてできないかもしれない。 しかし、一日でも早く皆さんが笑顔になれる事を信じています。 そして、災難の中から歩き出し、故郷を取り戻せる事を祈っています。 辛い時こそ、明るくいよう。 その明るさが、周りを明るく照らすから。 |