最優秀賞(北海道知事賞)



宗谷地区 猿払村立拓心中学校 3年 熊谷 春奈 くまがい   はるな

題 『母と同じ道を歩きたい』

  みなさんは、将来の夢を持っていますか。
  私は「看護師」になりたいという夢を小学校の頃から持ち続けています。小学校時代はただ漠然としていた夢も、 中学生になってはっきりとしたものに変わりました。それは、母の影響が大きかったのです。
  私の母は、15歳まで、中国に住んでいました。中国生まれの日本人です。電気のないランプ生活、 水道も風呂もないというあまりに過酷な生活でした。しかし、別れの朝には荷馬車の後ろに乗って、 故郷の村人達が小さくなるまで泣きながら手を振り続けたそうです。
  猿払村浅茅野が母の第2の故郷になりました。中国語しか話せない母は、小学6年生と一緒に日本語を習いながら コツコツと勉強しました。うまくいかないことや辛いことばかりだったと思います。それでも母は懸命に頑張り続けたのです。
  そんな日本に帰ってからの母の夢は二つありました。一つ目は、看護師になること、二つ目は、故郷へ帰ることでした。
  看護師を目指した母は、高校から看護学校に進学し、准看護師の資格を取り、猿仏村国保病院に20年間勤務しました。 そして、働きながら2年間の通信教育を受け、3年前に正看護師の免許を取ったのです。
  私は、そんな母に、すごく不思議な気持ちになりました。今思えば、動揺していたのかもしれません。 ひたむきな、そして、自分の夢を、努力し続けてかなえたという母の姿に・・・。
  母のもう一つの夢、故郷中国への旅は、正看護師となったその年、29年ぶりに実現しました。 旅行中、いつの間にか母はツアーの方々の通訳になっていました。29年間閉ざされていた中国語がまるで滝のように 母の口からあふれ出たのです。中国語で案内する母は、本当に生き生きとしていて、こんな母を見たのは初めてでした。 輝いている母。思いを一つ一つ叶える母。
  中国から帰ってきて、私はますます母の偉大さに気づかされました。そして、この時以来、自分の生き方、 将来の仕事として、看護師の道に進むことをしっかりと胸に刻み込むことができました。母の道こそ、私の道です。
  母は、私に努力すること、夢の実現に向けて頑張ることを身をもって教えてくれました。 今回の主張大会出場も母が中学校2年生の時に南宗弁論大会に発表したと聞き、私も挑戦しようと思いました。 挑戦する気持ちを教えてくれたのは母だったからです。
  母は、私の誇りです。そして目標です。いつか、一緒の職場で親子で勤めたいという夢がますます膨らんできました。 夢は努力の原動力。自分に負けず、挑戦し続けることで夢は叶うはずです。私は、その夢の実現に向けて一歩一歩 頑張っていきたいと思います。
  母と同じ道を目指して。