![]() ![]() 札幌地区 札幌市立平岡中央中学校 2年 題 『これからも歌とともに』 |
僕は小さなころから歌を歌うことが大好きです。歌を歌うととても楽しい気持ちになります。普段の生活の中でも、 気がつくと歌っていることが多く、気分がのってくるとだんだん声が大きくなってしまいます。 そんな僕の歌を、離れて住んでいる祖父母や親戚も好きでいてくれ、時には電話口で歌うこともあります。 僕の歌で誰かが少しでも元気に、幸せな気持ちになってもらえたら、僕はとても嬉しいです。 ところで「歌」とはいったい何なのでしょうか。歌の最大の目的は、感情を表現することだそうです。 歌のリズムや歌い方、歌詞で様々な感情を表現できると思います。 「うたう」の語源は「うったえる(訴える)」や、「うつ(打つ)」だそうです。だから、 聴いた人が幸せな気持ちになったり、心に響いて思わず涙を流してしまうこともあるのだと思います。 先日、僕は家族と一緒に、曾祖母に会いに行きました。介護施設に入っている九十九歳の曾祖母は、 だんだん認知症が進行しています。今聞いたことも数分後には忘れてしまうこともあるし、家族の顔も わからなくなってきています。きっと僕のこともよく分からないでしょう。でも、僕たちが会いに行くと必ず、 「遠くからわざわざ会いに来てくれてありがとう。」「暗くなってきたから気をつけて帰ってね。」と気遣ってくれます。 そんな曾祖母を少しでも元気づけたいと思い、「ふるさと」という歌を歌いました。 いろいろなことを忘れてしまった曾祖母でも、古くからあるこの歌なら、もしかしたら馴染みやすいのではと思ったからです。 僕は歌い始めました。 すると、思いがけないことが起こりました。曾祖母も一緒に歌い始めたのです。僕は胸が熱くなりました。 過去の記憶が曖昧になっていしまっている曾祖母の口から、歌詞があふれ出てくるではありませんか。 たとえ、音程や歌詞を間違えても、曾祖母は僕の声に合わせて一生懸命歌っていました。家族みんなに見守られながら。 奇跡の合唱が終わるやいなや、家族みんなで大拍手!曾祖母は目にたくさんの涙をためていました。 祖母も泣いていました。祖母は、曾祖母が歌っている姿を初めて見たと言っていました。 あの時曾祖母は、何を感じて涙を流したのだろう。僕の七倍も人生を長く生きている曾祖母の想いは、 僕には分かりませんでした。でも、僕の心は温かい気持ちで満たされ、歌の持つ不思議な力を強く感じました。 また、僕にとって歌がどれほど大切なものか、改めて認識できた出来事があります。 僕は、地元の劇団に所属し、歌やダンス、演技の勉強をしています。毎年年末にミュージカルが公演されるのですが、 本番前日、僕は急に声が出なくなってしまいました。幸い、本番は何とか乗り切ることができました。 しかし、病院を受診した結果、「声帯結節」と診断されました。 「一番の治療はとにかく声を出さないこと。」 (声を出してはいけない・・・) 僕はその時、声帯結節が治るまで歌が歌えないことを悟り、頭が真っ白になりました。 その後もお医者さんと母は話し続けていましたが、その声はどんどん遠ざかっていきました。 それから暫くの間、僕はできるだけ喉に負担がかからないように気をつけました。この時初めて、 歌が歌えないことの辛さ、歌が歌えることの幸せを身にしみて感じました。 そして再び歌が歌えるようになった時の感動は忘れられません。さっぽろ雪まつりのステージで歌うチャンスをいただき、 澄んだ冷たい空気の中で、喜びをかみしめて、心を込めて歌いました。観てくれた人たちからは、 「良かったよ。」「感動したよ。」などの嬉しい言葉をいただきました。 歌にはたくさんの素晴らしい力があると思います。遠い昔に歌った記憶を一瞬にして甦らせることができます。 世代が違っても、国が違って言葉が通じなくても、人と人との、心をつなげることができます。 悲しい気持ちを慰めたり、楽しい気持ちを膨らませたりと、歌はどんな人の心にも寄り添うことができます。 そして歌は、歌う自分も、聴いてくれる周りの人も幸せにしてくれるものだと僕は思います。 孔子が書いた論語の中に、こういう言葉があります。 「子日、知之者、不如好之者。好之者。不如楽之者。」 「その事について知識があっても、その事を好きな人には及ばない。もっと言うなればその事を好きであっても、 その事を楽しんでいる人には及ばない。」という意味です。 僕は将来、歌手になると決めているわけではありません。しかし、歌を愛し、楽しむことは、 これからも続けていこうと思っています。 |