優秀賞(北海道PTA連合会会長賞)



上川地区 鷹栖町立鷹栖中学校 3年 高木 倖凪たかぎ   ゆ な 

題 『思いやり』
  「えっ?また入院?」
  私は寂しい気持ちを心にしまいました。
  私には、8歳の弟がいます。弟の耳に障がいがあると分かったのは、私がまだ小学校2年生のときでした。 右耳高度難聴という病気で、今でも弟の右耳は全く聞こえない状態です。また、中耳炎も頻繁に起こったり、 病弱で入院の回数が多くありました。母は弟の入院の度に付き添うため、 家を空けることが多かったことを思い出します。私は、「弟が手術をがんばってるから・・・」と自分に言い聞かせて、
  「寂しくなんかないよ。」と母に言い、少し強がっていました。
  また、弟の入院のために、楽しみにしていた家族旅行をキャンセルしたり、 お正月、札幌の祖父母に遊びに行けなくなってしまうこともありました。私は、 弟が何も悪くないと分かっていながらも、「楽しみにしていたのに・・・」「ママの料理がいい!!」と、 我慢できず、両親に当たってしまうことがありました。そんなとき母は、 「ごめんね。」と申し訳なさそうにただ一言だけ言いました。そんな母の姿を見てふと思いました。 「なぜ母を謝らせてしまったのだろう・・・」その思いが何度も何度も心の中を巡りました。 両親は何も悪くありません。そして、一番辛い思いをしているのは弟です。 私は「なんて思いやりのない言葉を言ってしまったのだろう・・・」と後悔する気持ちでいっぱいに なる自分に気づきました。
  さらに、弟が4才になったとき、左目に白内障という病を患っていることが分かりました。 白内障は、湯気の満ちた中で物を見ているように視界がぼんやりしてしまう病気です。 幸い、弟は少し逸れていて、手術するには及びませんでした。 ただ、生まれたときから私たちと違う景色を見ているのかと思うと、 私は心が締めつけられるような辛い気持ちになりました。
  母は、「代わってあげたい・・・」そう言って涙を流していました。 私はそんな母の姿を初めて目の当たりにして、何と声をかけてあげればよいのか分からず、 ただただ、母のそばに黙って座っているだけでした。でも今なら
  「でも元気だよ。」
  「みんなと同じだよ。」
  と言うでしょう。たしかに弟は、目も耳も障がいがあります。 そのために小さな音を聞いたり、物をきれいに見ることが他の子よりも劣っています。 しかし、私は、「劣っている」ではなく、「苦手」という表現を使うべきだと思っています。 健康な人に苦手なことがあるのと同じように、障がいのある人は苦手なことが多くあります。 だから私は、障がいのある人を見て、「特別視」したり、「かわいそう」と思うべきではないと思います。 健康な人と、障がいのある人で互いに助け合えばよいと思います。 それがきっと、多くの人が気持ちよく暮らせ、思いやりにあふれる社会になるのではないかと思うのです。
  さて、最近私は、思いやりにあふれる体験をしました。 足の靱帯を損傷し、松葉杖をつき不自由な生活を強いられました。 移動するときに物を持つことができなかったり、1人で階段を上がることに不自由さを感じたりなどの 生活を送ることになりました。初めは、みんなに迷惑をかけると思うと辛く、 学校へ行く足取りが重く感じました。しかし、先生方、部活の仲間、 クラスメートが「大丈夫?無理しないでね。」「リュック持ってあげる。」などと声をかけてくれました。
  私は、仲間からの1つ1つの声に支えられ、心の重みがすこしずつ軽くなっていくのを感じました。 私はこのとき、多くの思いやりに支えられて、「今を生きている。」と実感しました。 そして「思いやる」ことが、人が今を生きる原動力になることに気づきました。 私は、これまでそして今後受けるであろう思いやりに気づき、そしてそれに感謝し、自分自身が人を大切にし、 思いやれる人間になれるように努力したいと思います。
  みなさんも、一緒に思いやりあふれる温かい社会を作りませんか?