最優秀賞(北海道知事賞)



釧路地区 白糠町立白糠中学校 3年  阿 部  はるか あ べ       

題 『支える側への配慮も』

  「正直キツかった。」そう呟いたのは、5年前まで介護職員として働いていた父だった。
  近年、社会的に問題視されている、介護職員による認知症利用者への傷害事件。 私はそんな報道を耳にする度、加害者への断ち切れない怒りと、何故そのような行為に及んでしまったのだろうと いう強い疑念に駆られた。しかし私は父の話を聞き、この残虐な事件の背景にある介護施設のとても悲しい事実を 知った。
  父の話によると、父は認知棟と言う、認知症利用者のみが利用する階で働いていた。 認知症の利用者の中には、トイレなども自分の力で行く事が出来ず、漏らしてしまう方が多くいたらしい。 それを父が処理しようとすると、ひっかく、つねるなどの暴行をされていたと言う。 それでも毎日、笑顔で利用者に接しなければならない。そんな日々への精神的負担は計り知れなかったことだろう。 また、度々耳にする、老々介護において子が親を殺害するという悲惨な事件も、 このような大きな精神的負担が引き起こしたものだと私は思う。
  だからと言って、介護者による傷害事件が許されていい訳では絶対にない。認知症の方も、 なりたくて認知症になったのではない。私自身、高齢者の方との交流を通し、 その痛みを目の当たりにした経験がある。中学2年の冬、町の介護施設へボランティアに行った時のことだ。 私はある一人のお婆ちゃんと接する機会が多くあった。そのお婆ちゃんも認知症で、 上手く言葉を発するこ事が出来なかった。その為、私が何度話しかけても返答は無く、 「仕方が無いことだ。」と分かってはいても、少し寂しい気持ちになっていった。 しかしお婆ちゃんを車イスに乗せ、散歩へ行った時のこと。お婆ちゃんが私に手招きした。 「どうしたの?」私は目線を合わせた。するとお婆ちゃんは、私の手のひらに何かを乗せようとした。 けれどそこには何も無く、私はそれが何を意味しているのか分からなかった。しかし後になり、 お婆ちゃんは私に「ありがとう。」とお駄賃をあげようとしていたと知った。 その時私は、「どうして気付いてあげられなかったのだろう。」という自己嫌悪を感じると同時に、 自分の思いを上手く相手に伝えることの出来ない、認知症の痛みを痛感した。
  しかし世間では、介護職員による傷害事件や、数値化された見かけだけの利用者状況ばかりが 問題視されている。けれどそれでは、この国の介護施設は何も良くならない。 私はこんな辛い現状を変える必要があると思う。
  それを実現するには、今よりもっともっと介護職の方の精神的負担の軽減に努め、 「この職について良かった。」「利用者の方に出会えて良かった。」心からそう思えるような 環境づくりをする事が必要だと思う。その為に私が出来る事。それは、この現在の介護施設の事実を、 多くの人に伝えることだと思う。
  皆さんは知っているだろうか。必死で寄り添おうとしても、心身共に傷つけられる人の苦悩を。 皆さんは知っているだろうか。それでも毎日笑顔で支え続けている人の痛みを。 そして皆さんは想像出来るだろうか。自分の想いを相手に伝える事の出来ない認知症の苦しみを。 私はそんな悲しい事実を知った。だから皆さんに伝える。この国には、苦しんでいる介護者が、 苦しんでいる認知症の方が沢山いる。そんな人々にもっと向き合うべきだ。
  少子高齢化が急速に進む現代、介護施設を利用する人は、増加し続けるだろう。 そんな中で、支えられる側への理解は勿論、支える側への配慮も、本当に大切な事だと、私は強く、強く思った。